夢主義社会トップへ お金は仕事で得る。労働では得られない。(狂った社会)   2007年11月26日  戻る

正社員と同じ仕事をしている派遣社員の賃金が、大きく異なることが問題になっています。
でも、正確には、「同じ仕事」ではなく、「同じ労働」なのです。
そして、報酬は、「労働」に対してではなく、「仕事」に対して支払われます。
それが、今の社会の構造なのです。

仕事とは、仕える事です。
正社員は、その会社に仕えていますが、
派遣社員は、派遣会社に仕えています。
仕える相手が異なるのです。
このために、支払われる賃金が異なります。

<補足>
「仕事=労働」と考えがちですが、正確には違います。
「仕事」とは、だれかに仕えること。
「労働」とは、労して働くこと。

「仕事」の場合、仕えるべき相手(使用者)が存在し、その使用者が賃金を払うと約束してくれれば、成り立ちます。
つまり、「労働」が伴わなくても良いわけです。在籍しているだけで、賃金をもらっている人も存在します。
「労働」は、ボランティア等も含めて、労して働くことであり、使用者が存在しない場合もあり、必ずしも賃金に結びつくとは限りません。

「仕事」の場合、使用者との人間関係によって賃金が決まってしまいます。
会社の中では、上司の御機嫌を取りながら、上司の都合良く振舞うことが大切になります。
そうすることにより、より上の地位に就くことができます。
学力や創造力よりも、要領よく振舞うことが重視されます。
このため、現在のような舌先三寸の社会になってしまいました。
在籍しているだけで、ゴルフの話をしたり、宴会の話をしたりしているだけで、賃金をもらっている人がいます。
逆に、要領が悪いと、安月給で、夜遅くまで、残業させられる人もいます。

「成果主義」という言葉がありますが、「仕事」の成果とは、「如何に上司に仕えたか」ということになります。
「仕事」の能力とは、上司に仕える能力ということになります。
良い商品やサービスを顧客に提供する能力ではありません。
このため、一流会社でも(一流会社だからこそ)、様々な不祥事を引き起こすことになります。

「仕事に就く」とは、このような人間関係の中に加わることです。
従って、何かの人間関係がないと、加わることは難しいようです。
新卒の場合、学校と企業の関係で就職できるということです。
このため、そのチャンスを失ったニートやフリーターが、就職するのは至難の業ということになります。