夢主義社会トップへ やり直し裁判:反省のポーズ、サルでもできる   2007年05月24日  戻る

現在の裁判では、事件を起こした時の犯罪者の精神状態や、その後の反省の度合いによって、罪の重さが変わってくるようです。
このため、事件直後の犯罪者の状況説明と、裁判に入っての状況説明が変わってくることが多いようです。
少しでも罪を軽くしようという弁護士の入れ知恵なのでしょうが、何とも釈然としないものがあります。

テレビドラマや映画を見れば分かるように、人は、本来の自分とは違う人間を、自由に演じることができます。
単なる反省のポーズで、罪の重さが変わるのは間違っていると思います。
さらに言うならば、このような入れ知恵を行う弁護士も問題です。
弁護士を告訴したい気がします。

そもそも、人の心というものは、曖昧であり、善と悪が常に入り混じっています。
悪いと分かっていながら、罪を犯す人は多いです。
その人の頭の中で、最終的に悪が優先したために、罪を犯した分けです。
そして、心は、脳の中で行われている物理的な化学反応に過ぎません。

心・精神・感情といった神憑り的な言葉で表現すると、本質を見失ってしまうように思えます。
つまり、犯罪者は、罪を犯す頭(脳)を持った機械(歯車)と考えた方が適切だと思います。
「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉がありますが、確かに人を憎んでも仕方がありません。
人は単なる機械(歯車)に過ぎないのですから、機械を憎んでも仕方がありません。
但し、罪を犯す機械(歯車)を放置することはできません。
その罪を犯す機械(歯車)を壊すか、罪を犯さないような場所で利用するか、ということになります。

今の社会では、無期懲役になった犯罪者でさえ、刑務所で反省のポーズを見せれば、一般社会に復帰できるそうです。
つまり、罪を犯す機械(歯車)を、一般社会に放置することになります。
そして、当然のことながら、犯罪者が出所後、再度、罪を犯すことが多いようです。

これは、今の法律そのものに問題があるようです。
人間の脳の構造も充分に分かっていない現状で、犯罪者を必ず更生できると考えるのは、人間を過信した無責任な思い上がりとしか言えません。
その無責任な思い上がりが、新たな犯罪被害者を増やしています。

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