夢主義社会トップへ 裁判員制度は国民の承認を得ていない不当な制度   2009年05月10日  戻る

今月の21日から、裁判員制度が実施されます。
しかし、裁判員制度の作成において、国民の意見は全く反映されていません。
裁判員制度は、一部の専門家(頭の偏った発想の人間)が、勝手に作成した制度です。
専門家は、発想が偏っています。広い視野・知識を持ちません。
したがって、庶民の状況や気持ちは分かりません。

この結果、庶民に迷惑を掛けるだけの無意味な裁判員制度ができました。

当然ですが、制度には不備が付き物です。
年金制度も、医療保険制度も、介護保険制度も不備・問題だらけでした。
政府が、何か制度を作れば作るほど、社会は混乱し、国民の負担は増加します。
その不備をチェックする事から始めなければなりません。

ところが現状では、その制度が正しいものとして、一方的に強引に国民に押し付けられています。
国民は、政府や裁判所の操り人形であってはなりません。

最近の裁判官や警察官の不祥事を見ると、裁判官や警察官は信用に値しません。
裁判所の都合の良い人間に洗脳されないように、「本来どうあるべきか」をしっかり考える必要があります。

<補足>
裁判の知識の無い素人の一般人を連れて来て、手取り足取り裁判を体験させても、それが、公正な裁判につながるとは思えません。
おそらく、裁判所として、
「国民も一緒に下した判決だから、公正な正しい裁判です。」
と言いたいのでしょう。
つまり、裁判員制度は国民への責任転嫁が目的という事です。

裁判の知識を持った一般人の中には、現状の裁判の進め方に疑問を持っている人が多くいます。
そういう人たちへの言い訳として考えられたのが裁判員制度です。

国民の中には、裁判員になって正しく人を裁けるのか不安に思っている人が多いようです。
でも、それは、大きな思い違いです。
裁判員の行うべきは、犯罪者を裁くのではなく、検察官や裁判官をチェックすべきなのです。
検察官や裁判官をチェックして、筋の通った裁判が行われているかを裁くのです。

裁判の基本は、「疑わしきは、罰せず」です。
検察側が十分な証拠を揃えていなければ、とりあえず無罪として、検察側にしっかりしろと言えば良いのです。
最近の警察官の不祥事を見ると、警察は信用に値しません。

また、裁判員制度に向けて法律の知識を勉強しなければと思っている人もいるようです。
これも、大きな思い違いです。
本来の裁判は、法律の知識を持たない一般人にも納得できる裁判でなければならないのです。

法律上の分からない言葉に対しては、「分かるように説明しなさい」と偉そうに堂々と要求すれば良いのです。

最近の広報等を見ると、国民を洗脳して、裁判所の都合の良いように裁判員制度を進めようとしているように思えます。
裁判員制度の目的は、「犯罪者を裁く」のではなく、「検察官や裁判官を裁く」と認識すべきです。
そうすれば、無意味な裁判員制度も、少しは価値が出てくるでしょう。