「孤独=自由」です。 「孤独」という言葉を使うと、暗いイメージがあります。 「孤独」と言わず、「自由」と表現しましょう。 「孤独」と感じるのではなく、「自由」と感じましょう。 そうすれば、幸せになります。 幸せか不幸かは、心一つなのです。 「自由に生きて、自由に生涯を終えた」と考えれば、幸せではないでしょうか。 亡くなられた方の人生を、不幸であるかのように、一方的にレッテルを貼るのは、亡くなられた方の人生を冒とくする行為に思えます。 人は皆、自由に生きる権利があります。 その自由を追求したのが、自由主義社会です。 自由主義社会では、自分の夢に向けて、必要な時に、必要な相手と、必要な範囲で関係します。 人生の終盤になれば、徐々に必要性が薄れ、関係が薄れ、無縁になるのは自然な姿です。 生あるものは、何れは、その命を終えるのが定めです。 だれかに見守られて、人生を終えても、 だれかにも知られず一人で、人生を終えても、 一人であの世に旅立つのは、同じです。 「一緒にあの世に行こう」と誘われても困ります。 人の死について、あまりにも執着し過ぎている感じがします。 大切なのは、元気な間に、人類の未来のために役立つ事です。 つまり、働く場を作る事が大切です。 働く場は、雇用に限らず、社会の役に立っていればOKです。 ところが、現代社会は腐敗した人間関係に依存した社会です。 腐敗した人間関係の中に入る事で、利を得る事ができます。 逆に、腐敗した人間関係を拒むと、無縁になり、働く場さえ得られなくなります。 無縁死よりも、腐敗した人間関係に依存した社会を問題視すべきです。 「夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。 |