夢主義社会トップへ 無縁社会ではなく自由社会なのです   2010年10月31日  戻る

「孤独=自由」です。
「孤独」という言葉を使うと、暗いイメージがあります。
「孤独」と言わず、「自由」と表現しましょう。
「孤独」と感じるのではなく、「自由」と感じましょう。
そうすれば、幸せになります。
幸せか不幸かは、心一つなのです。

「自由に生きて、自由に生涯を終えた」と考えれば、幸せではないでしょうか。
亡くなられた方の人生を、不幸であるかのように、一方的にレッテルを貼るのは、亡くなられた方の人生を冒とくする行為に思えます。

人は皆、自由に生きる権利があります。
その自由を追求したのが、自由主義社会です。
自由主義社会では、自分の夢に向けて、必要な時に、必要な相手と、必要な範囲で関係します。
人生の終盤になれば、徐々に必要性が薄れ、関係が薄れ、無縁になるのは自然な姿です。

生あるものは、何れは、その命を終えるのが定めです。
だれかに見守られて、人生を終えても、
だれかにも知られず一人で、人生を終えても、
一人であの世に旅立つのは、同じです。
「一緒にあの世に行こう」と誘われても困ります。

人の死について、あまりにも執着し過ぎている感じがします。
大切なのは、元気な間に、人類の未来のために役立つ事です。
つまり、働く場を作る事が大切です。
働く場は、雇用に限らず、社会の役に立っていればOKです。

ところが、現代社会は腐敗した人間関係に依存した社会です。
腐敗した人間関係の中に入る事で、利を得る事ができます。
逆に、腐敗した人間関係を拒むと、無縁になり、働く場さえ得られなくなります。
無縁死よりも、腐敗した人間関係に依存した社会を問題視すべきです。


夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。