夢主義社会トップへ 企業が求める人材は、無能な上司を背負える人材   2011年02月09日  戻る

博士の資格を持っている人が、就職できずに困っているという話がありました。
何故、企業は、博士の資格を持った優秀な人材を採ろうとしないのか?

企業が求めている優秀な人材とは、会社の歯車として、経営者を筆頭にした上司のために頑張れる人材を求めています。
基本的に、会社の中の上司は、人間関係だけでその地位を得た無能な人間です。
そのような無能な上司を背負って、ヨイショしながら頑張れる人材を求めています。
ところが、博士の資格を持った優秀な人材は、優秀過ぎて、無能な上司を蹴飛ばしてしまう可能性が高いです。
会社にとってはメリットのある優秀な人材でも、経営者や上司にとって都合の悪い人材は、敬遠されるのだと思います。

今の社会では、技術者は、社長を含めた幹部社員、営業マンにとって、金儲けの道具に過ぎません。
道具に成り切れない優秀な人材は、嫌われるようです。

コミュニケーション能力が大切と言われますが、コミュニケーション能力にも色々あります。
企業が求めるコミュニケーション能力とは、上司の御機嫌を取りながら、上司の都合の良いように振舞える能力のようです。
上司の問題点を、的確に指摘できる能力ではないようです。

現在、義務教育では、人間関係重視の教育が行われ、結果、学力低下を招いていますが、その真の原因は、企業が、学力よりも人間関係を重視しているからです。

<補足1>
会社の中では、皆、忙しいようですが、その忙しさは、価値有る労働での忙しさなのでしょうか?

様々な企業で、談合・癒着・偽装等の不正行為が表面化しています。
社員の人たちは、皆、忙しく頑張って働いたのでしょう。
でも、その忙しさは、不正行為のお手伝いだったということです。

人々は、皆、忙しそうに動き回っているのですが、実は、不正行為に関わる仕事を全て排除すれば、仕事量が激減し、もっと余裕を持って働けるのではないでしょうか?

国会議員や官僚も、私利私欲で自分に都合の良いように税金の配分を決め、
都合の悪い事は隠ぺいするために、忙しく駆け回っているようです。
この仕事は、価値有る労働とは、とても思えません。

行政の無駄というよりも、行政の不正行為です。

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<補足2>
「仕事=労働」と考えがちですが、正確には違います。
「仕事」とは、だれかに仕えること。
「労働」とは、労して働くこと。

「仕事」の場合、仕えるべき相手(使用者)が存在し、その使用者が賃金を払うと約束してくれれば、成り立ちます。
つまり、「労働」が伴わなくても良いわけです。
在籍しているだけで、賃金をもらっている人も存在します。
「労働」は、ボランティア等も含めて、労して働くことであり、使用者が存在しない場合もあり、必ずしも賃金に結びつくとは限りません。

「仕事」の場合、使用者との人間関係によって賃金が決まってしまいます。
会社の中では、上司の御機嫌を取りながら、上司の都合良く振舞うことが大切になります。
そうすることにより、より上の地位に就くことができます。
学力や創造力よりも、要領よく振舞うことが重視されます。
このため、現在のような舌先三寸の社会になってしまいました。
在籍しているだけで、ゴルフの話をしたり、宴会の話をしたりしているだけで、賃金をもらっている人がいます。
逆に、要領が悪いと、安月給で、夜遅くまで、残業させられる人もいます。
また、仕事が減ると、解雇されたりします。

「成果主義」という言葉がありますが、「仕事」の成果とは、「如何に上司に仕えたか」ということになります。
「仕事」の能力とは、上司に仕える能力ということになります。
良い商品やサービスを顧客に提供する能力ではありません。
このため、一流会社でも(一流会社だからこそ)、様々な不祥事を引き起こすことになります。

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