夢主義社会トップへ 戦争は愚かと伝えれば充分   2012年08月15日  戻る

戦争を知らない世代の私ですが、「戦争=愚かな行為」という認識だけで充分と思っています。
戦争で亡くなられた人に対して「追悼と感謝」という言葉を聞きますが、「追悼」は良いのですが、「感謝」は違うと思います。
国のために戦って亡くなられた人に対しては、「感謝」ではなく、「愚かな戦争に参加させてしまい申し訳ない」という陳謝の気持ちが大切だと思います。
そして、「二度と戦争はしない」という誓いが大切です。
※「国のために戦って頂きありがとう」では、戦争を美化(肯定)することになり、問題です。

戦争の悲惨さ、核兵器の残虐性を伝える事が大切と言われていますが、
悲惨な状況にならないために、戦争に勝つ事が大切→軍事増強ということになります。
また、核兵器の残虐性を伝える事は、核兵器の強大さを宣伝する事になり、核兵器を持ちたいという国が増えます。

戦争根絶や核兵器廃絶のためには、「戦争=愚かな行為」と言えば良いのです。
勝ちたいと思う人は、馬鹿にされるのが嫌いなようです。
「戦争=愚かな行為」と言えば、自然に、戦争に勝ちたいという欲望が薄れ、
戦争は無くなるでしょう。

ちなみに、オリンピックは、勝ちたいという欲望を、
一定のルールの中で、発散・解消させているだけなのです。

<追伸>
核兵器廃絶が望まれているようですが、
もし、巨大な隕石が地球に向かって来たら、どう対処すれば良いのでしょうか?
やはり、核兵器で、隕石を破壊する以外にないでしょう。
核兵器は、ダイナマイトと同じで、道具なのです。

ナイフや包丁一本でも、人を殺すことができます。
でも、ナイフや包丁を社会から廃絶することはできません。

ナイフや包丁で、一度に多くの人を殺すことはできません。
だから、問題無いのでしょうか?
一人の命も、多くの人の命も、同様に大切なはずです。
人数の問題ではないはずです。

科学技術の進歩により、核兵器に限らず、様々な危険な道具が、次々に生まれています。
車、飛行機、電車、様々な化学物質等、日常的に使われている道具でも、ある日突然に、多くの人の命を奪うことが、現実に起きています。
でも、その道具は、人類にとって必要な道具です。

悪いのはその道具ではなく、道具を正しく使用することができない人間が悪いのです。
核兵器が悪いのではなく、核兵器を正しく使用することができない人間が悪いのです。
さらに言うと、戦争が悪いのではなく、戦争を行う人間が悪いのです。
「悪い」というよりも、「愚か」という表現が適切かもしれません。

つまり、核兵器廃絶よりも平和維持を大切にすべきであり、他の国と争わないことが大切です。
平和であれば、核兵器が使われることはありません。

夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。