夢主義社会トップへ いじめと自殺は、分けて考えるべき(脳の構造を考慮)   2013年02月04日  戻る

自殺するか否かは、「いじめ」の度合いとは関係無いのでは?という気がします。

自殺というのは、脳の中に「自殺のイメージ」が記憶されており、ちょっとしたきっかけで、その「自殺のイメージ」にスイッチが入り、「自殺のイメージ」に従って行動してしまうのだと思います。

従って、同じ「いじめ」を受けても、脳の中に「自殺のイメージ」を記憶していない、または、実行可能なレベルで記憶していない場合は、自殺に至らないのだと思います。

最近は、子供の自殺だけでなく、子供による殺人も増えています。
これは、テレビのドラマや映画等で、自殺や殺人のシーンを目にすることが多くなったことに起因していると思います。
子供たちにとって、自殺や殺人のシーンは、とても刺激的であり、強烈に脳に記憶されます。
それが、ちょっとしたきっかけで、その脳の中の「自殺・殺人のイメージ」にスイッチが入り、「自殺・殺人のイメージ」に従って行動してしまうのだと思います。

このように考えると、「いじめによる自殺」が起きたときに、「自殺に至るようないじめがあったか否か」というような調査は無意味であることになります。
ほんのちょっとした「いじめ」でも、自殺に至る可能性があるということです。

逆に、酷い「いじめ」があっても自殺しない場合があります。
※これが普通。

学校側は、自殺が起きてから、ようやく具体的な検討を始めるようです。
学校側は、自殺に至るようないじめがあったか否かを調査するようです。
学校側は、自殺に至らないようないじめは、いじめではないと考えているようです。
でも、いじめは、常に存在し、子供たちを苦しめています。
大切なことは、自殺とは関係なく、全てのいじめを調査して、無くする事です。

<補足>
いじめは人間関係が原因です。
人間関係が無ければ、いじめは生じません。
人間関係重視教育が、いじめを増加させています。

ちなみに、無視することは、いじめではありません。
無視により人間関係を絶つ事で、過剰ないじめを止めようという行為なのです。

人間関係を良好に保つには、様々な知識・経験が必要です。
子供には、その知識・経験が未だ無い訳ですから、無闇に人間関係を広げるのは危険です。
人間関係を広げるのは、義務教育を終了してからで充分です。

義務教育の間は、人間関係よりも、個性を育てる事を重視すべきです。
義務教育の間に、自分の特性を知り、
自分を社会のために活かせる道「夢」を探すのが、義務教育の真の目的です。

夢主義社会」は、人間の本質を踏まえた上で、人類の未来を考えます。