欲望で、憲法を変えると、憲法改悪になる

「日本は和を重んじる国」と言えば聞こえが良いのですが、
法律やルールよりも、仲良く(協調性)が尊ばれる社会
(例えば、談合、癒着、赤信号皆で渡れば怖くない等)
さらには、長い物には巻かれろ!強い者には従え!
個性を捨て集団に従属することが求められる社会
一般的な日本人には、本来どうあるべきかと言った信念はありません。
ただ単に、周りに合わせているだけです。
そんな中で「俺は偉いんだ。俺は正しいんだ。俺について来い。」という人間がいると、
優柔不断な国民は、その人に従ってしまいます。
このような日本だから故に、
愚かな戦争に、民間人も一丸となって取り組んだ日本、
とことん廃墟になるまで、降伏できなかった日本、
が存在します。
今の憲法は、民主主義や平等社会の理念に基づいて作られたものです。
日本の古い習慣(封建社会)や理念に捉われず、理想的な社会を目指す憲法になっています。
また、戦争の悲惨さ、残虐性を知っている人間が、恒久的な平和を願って作成した憲法です。
通常の日本人の思考では、到底作ることができない憲法です。
とことん廃墟になった状況で、多くの人々が平和を願って作り出されたのが、今の憲法です。
この平和憲法を守り通すことが、戦争で亡くなられた方々に対する真の追悼になります。
平和の中で、豊かさを追い求めている今の日本人が、憲法を変えると、憲法改悪にしかなりません。

心を失いつつある人の脳

人は、何故、自分に心があるのか知らない。
人の脳の仕組みは、未だ未だ解明されていないことが多い。
人の脳は、大自然の脅威の中で、進化してきた。
逆に、豊かな環境では、退化する。
困っている人を見ると、助けたくなる。
裕福な人を見ると、ねたむ。うらやむ。
人は、心を持っているようで、実は単に、
周りの状況に反応しているだけの機械(歯車)なのかもしれません。
豊かな社会よりも、貧しい社会の方が、人は優しくなれるのだと思います。

人の脳は、高性能バイオコンピュータ

人の脳は、大脳・小脳・脳幹から成り立っています。
脳幹は、他の動物も持っていて、生きていくための基本的な機能を持っています。
大脳は、記憶がメイン機能です。
人は、他の動物に比較して、大脳が大きいことが特徴です。
人は、外界の状況に応じて、本能だけで行動するのではなく、
大脳に記憶された情報を基に、判断して行動します。
そして、その結果をまた大脳に記憶します。
この繰り返しを総じて、心・精神・感情と称しています。
この大脳が、たいへん大きいため、他の動物には無い多様な心・精神・感情を持つことができました。
つまり、心・精神・感情といったものは、脳の中で行われている物理的な化学反応に過ぎません。
人のチョットしたミスから、大きな事故、犯罪、欲望等の、人の問題行動の原因を、
心・精神・感情といった神憑り的な言葉で表現すると、本質を見失ってしまうように思えます。
人の問題行動の原因を、脳の中で行われている物理的な化学反応であると考えて、
対策を考えれば、もっと適切な対策が出てくるのではないでしょうか。
人の脳を、高性能バイオコンピュータと考えるならば、
人間は、脳の中に記録されたプログラムに従って、外界からの刺激に反応して行動しているのに過ぎません。
人間の脳の中には、本能や欲望だけでなく、理性があります。
この理性によって本能や欲望をコントロールできれば良いのですが、
時として、その理性が正しく機能しないことがあるようです。
特に最近、そういうケースが増えているようです。
人が行動するには、脳の中にその行動プログラムが存在している必要があります。
その行動が、意識的か無意識かに関わらず、
脳の中にその行動プログラムが存在していたから行動できたのです。
様々な犯罪や異常行動も同様であり、その人間の脳の、潜在意識の中に、
犯罪や異常行動のプログラムが存在していたと考えられます。
その行動プログラムのスイッチが、チョットしたきっかけで、ONになったと考えられます。
最近、テレビや映画等で犯罪や異常行動のシーンを見る機会が多いため、
その行動を脳にインプットする機会が増え、犯罪増加につながっていると考えられます。
特に、子供の頃は、感受性が高いために、目で見た映像が強く脳に記憶されます。
潜在意識の中に記録されてしまうと、無意識の間に、その行動を実行してしまう可能性が高くなります。
一度、脳に記録された情報や行動プログラムは、消すことはできず、
意識・無意識に関わらず、何度も同じ過ちを繰り返すことになります。
裁判では、被告の精神状態が問題になるようですが、
大切な事は、社会に害を及ぼす可能性の高い人間を、社会に放置しないことです。

いじめは、大人社会の真似

子供の様々な行為は、全て、大人社会の真似をしているに過ぎません。
今の大人社会は、舌先三寸の人間たちによる腐敗した社会です。
 ・「真実が、舌先三寸で歪められてしまう社会」
 ・「正直者はバカを見る社会」
最近、詐欺行為が事件として表面化することが増えていますが、
一般の身近な人間関係でも、舌先三寸で真実が歪められることは、よくあります。
 ・「人の優しさに付け込む卑劣な人間たち」
人と人が会って話しをすることは、心と心を通わす手段にはならず、
舌先三寸の技に長けた人間の都合の良い方向に進めるための手段になります。
 ・「嘘、張ったり、見栄」
そもそも、人が口にする言葉は、情報量が少なく、曖昧です。
その曖昧さを利用するのが舌先三寸の技(コミュニケーション能力)です。
学校内でのイジメを無くするには、子供や学校内に対して、いくら対策を考えても無駄です。
現在の大人社会を変えない限り、イジメは無くなりません。

子供と遊ぶよりも、働く姿を見せる

子育てに熱心な親が増えているようです。
会社の中での仕事は、単なる歯車としての仕事であり、けっこう時間に余裕があるのだと思います。
そして何よりも、子供には、大人が捨てた夢があります。
自分が捨てた夢の実現を、子供に漠然と期待しているのではないでしょうか。
結果、子供に関心(期待)が向き、子育てに熱心になるのではと思います。
自分の子供を、良い人間に、立派な人間に育てたいと思い、いろいろと苦労しているようです。
でも、「子は親の鏡」です。
親が、いくら言葉で正しい事を説明しても、親の実際の行動が伴わなければ、子供はそれを真に理解できません。
親が、子供に対して、言葉だけで正しい事を説明・強要したならば、
その子供は、親の前でのみ、良い子を振る舞う人間に育つでしょう。
「父親が、毎日、夜遅く酒を飲んで帰宅し、土日は子供と遊ぶ」といった場合、子供は父親をどう思うでしょうか。
「父親の仕事は、会社で夜遅くまで酒を飲むことである。土日は子供と同等である」と子供は理解していないでしょうか?
これでは、大人社会に夢も希望も見出せなくなり、ニートやフリータが増えるのは当然の成り行きと思えます。
親が子供に対して行うべきは、子供と一緒に遊ぶことではなく、
親が額に汗して働くところを子供に見せることです。
しかし、これは、会社に勤める人(サラリーマン)が多い現代社会において、たいへん難しいことです。
テレビのニュース等においても、毎日のように、
癒着、談合、詐欺、脅迫、窃盗、暴力、殺人、等のニュースが報道されており、
未成年者には、好ましくない環境です。
上場会社や政治家、公務員、警察、医者等の不祥事も多くあります。
大人が職場で、子供に知られたくないような不正な事を行っていながら、
子供には、立派な人間に育ってほしいというのは、無理があります。
大人が影で悪い事を行っていれば、子供も影で悪い事を行うようになるのが、当然の成り行きです。
そうであるならば、いっそのこと、醜態をさらす親とは隔絶した世界で子供を育てるのが良いと思います。
全寮制の学校等が良いかもしれません。
もちろん、学校の先生が、子供の御手本になるような人であることが前提条件です。
「子供と向き合うことが大切」とか「子供に背を向けている親が問題」といった声を耳にしますが、
昔は、子供の相手をしている暇も無く、額に汗して働く親が多かったと思います。
そんな親の背中を見て、子供は育って来ました。
しつけや叱ることが大切という人もいますが、子供たちは、大人たちの言葉よりも、行動を見ています。
行動の伴わない言葉は、不信感を募るだけです。

大人社会は未成年者禁止

酒・タバコは、未成年者禁止ですが、今の大人社会の全てを未成年者禁止にして、
未成年者が大人社会の状況を知ることができないようにすべきであると、私は考えます。
「真実は小説よりも奇なり」と言われますが、
今の社会は、癒着、談合、詐欺、脅迫、窃盗、暴力、殺人、等、
未成年者には、刺激が強すぎる社会だと思います。
少し前までは、テレビドラマや映画の世界だったことが、現実社会で起きています。
それも、テレビドラマや映画よりも遥かに醜く、汚く、衝撃的なことが、現実に行われています。
一流企業といわれる会社や、一見普通に見える人たちが、様々な問題を引き起こしています。
特に気になるのは、テレビ等で見た犯罪シーンを真似たような犯罪が増えていることです。
今の社会では、大人も子供も同じ様に情報を得ることができます。
もしかすると、毎日、仕事に追われている大人よりも、
テレビを見る時間が長い子供の方が、今の社会の情報を多く得ているかもしれません。
そして、何よりも、子供の方が、記憶力・理解力において優れています。
子供たちは、テレビドラマや映画の仮想社会を見て、
さらに、ニュース等で現在の大人社会の状況も見て、
子供たちの頭の中で、どのように認識され、どのような結論を導き出しているのでしょうか。
仮想社会と現実社会の区別は付いているのでしょうか。
計り知れないものがあります。
■簡単対処
・テレビを見せない:問題無い番組のみを厳選して、ビデオで見せる。
・インターネットを利用させない:学校内で、厳選されたサイトへのアクセスのみ許可する。
■極端な対処
・大人社会と子供社会を分離する。
※先生等の限られた大人しか立ち入ることのできない地域を設定し、
 その中で、子供たちは親と離れ、完全寮生活を行う。
※逆に、大人社会を、大都市に限定する方法もあります。
大人と子供が同じ生活環境に共存していたのでは、
現在の未成年者の酒・タバコを厳格に取り締まることができないのと同様に、
テレビやインターネットを厳格に取り締まることは不可能と思われます。
そもそも、大人は認められるが、子供はダメという論理が、間違っていると思います。
大人の一方的な論理を、子供に強要することは、子供の精神を歪めることになります。
そして、大人になって、その反動が出てくるのではないでしょうか。
今現在の大人たちの行動そのものが、実は、子供の頃、虐げられた反動なのかもしれません。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。

楽しみ=欲望

「一度の人生、楽しまなきゃ損!」という声をよく耳にします。
人間の楽しみには、2種類あると思います。
 1.欲望を満たすことによる楽しみ
 2.夢に向かって歩くことの楽しみ
「欲望を満たすことによる楽しみ」は、他の動物も持っている楽しみだと思います。
「夢に向かって歩くことの楽しみ」は、理性を持った人間のみが持つ楽しみだと思います。
今の社会では、「欲望を満たすことによる楽しみ」が主流になってきているようです。
それに合わせて、欲望を満たすための産業が増加しているようです。
例えば、お金に余裕があると、旅行したり、美味しいものを食べたり、趣味を持ったりしています。
この状況を、子供たちは見ています。子供たちは、どう感じているのでしょうか。
人生とは、「欲望を満たすことによる楽しみ」を得ることである、と感じているのではないでしょうか。
そして、子供たちは、こんな大人たちの真似をすることになります。
大人には、「夢に向かって歩くことの楽しみ」を持ってほしい。
夢に向かって、死ぬまで、働いて、働いて、働きぬいてほしい。
もちろん、会社に従属しての仕事が、大人の夢であるはずがありません。
ボランティア等の社会貢献で頑張ってほしいと思います。
そんな大人が増えれば、子供たちの倫理感も変わってくるでしょう。
しつけや叱ることが大切という人もいますが、私は違うと思います。
子供たちは、大人たちの言葉よりも、行動を見ています。
行動の伴わない言葉は、不信感を募るだけです。

少子高齢化(政治の結果であり、自然現象ではない)

日本社会では、少子高齢化が問題視されています。
この状況は、自然の成り行きではなく、日本人一人一人の考えや行動の結果として、少子高齢化になったのです。
年輩の人たちは、手にした地位・名誉・お金を、いつまでも持ち続けたいと考えます。
日本の政治(国会議員等)を動かしているのは、この年輩の人たちです。
年金制度についても、「現役時代の50%を保障」という話があります。
海外旅行に行くと、年輩の人たちを、多く見かけます。
年輩の人たちが、海外旅行で世界を見て、何の役に立つのでしょうか。
子供たちにこそ、海外旅行で世界を見て、今後の人生に役立ててほしいと思います。
お金は、天下の回り物です。
今の日本では、年輩の人たちが多くのお金を持っており、お金を使う権利を持っています。
年輩の人たちは、人類の未来のために、お金を使うのではなく、自分の欲望のために、お金を使っているように思えます。
その結果、子供に向けられるお金が減少します。
従って、子供の人数を、減らさざるを得なくなります。
そこで、少子化対策として、子供の衣食住・教育費の全てを、国が負担すべきだと思います。
育児は、生んだ親が行っても良いし、国の施設に預けても良いことにします。
つまり、子供を生んでさえくれれば、後は、全て、国で保障する制度が必要です。
この費用には、現在の年金や高齢者医療を充てます。
そもそも、大人が、仕事もしないで、遊び呆けるのは、異常だと思います。
元気な間は、働くべきです。元気でなくなったときは、細々と生きて行くべきです。
細々と生きて行くには、生活保護だけで充分です。
高齢者の医療も問題です。延命治療に、多額のお金を掛けるのは、異常だと思います。
高齢者の年金や医療費を、子供たちに向けることが、人類の未来のためにお金を使うことになります。
「お金を子供たちに向ける」といっても、個々の子供に多くの物を与えるのは、教育上よくありません。
多くの物は、新しく物を創造する能力を低下させます。
最近、ペットを飼う人が増えているようです。
現在の、高齢者優遇の社会情勢を見ると、子供を育てるには不安が多すぎるので、安易な矛先として、ペットを飼う人が増えているのではないでしょうか。
昔(戦後、間もない頃)は、貧しい家庭が多かったのですが、子沢山の家庭が多かったようです。
当時、人々は、「今は苦しくても、未来を信じていた。日本の成長を信じていた。」だから、沢山の子供を残したいと本能的に感じたのだと思います。
実際に、日本は高度成長を遂げることができました。
でも、成長期→成熟期→衰退期となり、今の人々は、未来を信じることができなくなってきました。
その思いが、本能的に、子供を残さないという結果を、生み出しているのはないでしょうか。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

勉強する目的(人類の未来に役立つため)

何のために勉強するのか。
それは、自分の能力を知り、その能力を最大限に伸ばして、人類の未来に役立つためです。
良い学校・良い企業に入ることが目的ではありません。
また、他の人と競争して勝つことが目的ではありません。
今の社会や学校で、競争を強いられるのは、競争によって、もっと頑張れると考えられているからです。
でも、その結果、個々の生徒の能力を伸ばすことよりも、
一律の土俵での競争が求められるようになり、
本来の教育の目的である「自分の能力を知り、その能力を最大限に伸ばす」ということが忘れられています。
その原因は、今の社会のルールを決める決定権のある人間が、
競争に勝った人間であり、その自分の行動が、正しいと思っているからでしょう。
「自分の能力を知り、その能力を最大限に伸ばす」と言っても、自分の能力を知ることは大変難しいことです。
今は不得意な科目でも、将来チョットしたきっかけで、得意な科目になるかも分かりません。
逆に、不幸にして事故等で、得意なことができなくなるかも分かりません。
未来のことはだれにも分かりません。
ですから、義務教育では、今後の長い人生に備えて、広く浅く多くのことを勉強することが基本になります。

労働の目的(お金儲けではなく、社会貢献)

「あなたは何のために働いていますか?」と聞かれて、
多くの人は「お金儲けのため」と答えると思います。
「お金儲けのため」ということは、社会のためにならなくても、
とにかくお金を得る事ができれば良い分けで、この発想の先には、
詐欺、談合、不正、窃盗、殺人等、を行ってでも、お金を得たいということになってしまいます。
現実的に、そういう悪い行為でお金を得ている人も多いようです。
でも、ほとんどの人は、悪いことをしてはいけないと考え、思い止まります。
悪い行為を思い止まることができるか否かは、理性が有るか無いかの差だと思います。
理性とは、社会性を重視する感情です。
理性を持った人は働く理由を、「お金儲けのため」と答えると同時に、
心の中で、「お金儲けのためだけでなく、社会貢献である」と思っているはずです。
逆に、理性を持っていない人は、ひたすら「お金儲けのため」のみになり、
詐欺、談合、不正、窃盗、殺人等、を行ってでも、お金を得たいということになります。
この状況は、お金の魅力(魔力)に負けて、理性を失ったと考えられます。