商売はマネーゲームです。
ゲームという点では、TVゲームも同じです。
ニートの中には、毎日TVゲームで頑張っている人も多いようです。
同じゲームであるにも関わらず、何故、
マネーゲームは社会で労働として認められていて、
TVゲームは労働と認められないのでしょうか。
ゲームと言えば、野球やサッカーもゲームです。
野球やサッカーの一流選手は、高額な報酬を得ているようです。
でも、一般のアマチュアの人は、無報酬です。
オリンピックでも、メダルを獲得できた選手は、様々な形で、高額な報酬を得られるようです。
その中でも、金メダルは、断突のようです。
でも、努力という点で考えると、
1位の選手の努力も2位以下の選手の努力も、大差はないと思います。
それにも関わらず、結果として与えられる報酬は、大きな差(格差)があります。
そして、この状況を人々は当たり前と受け取っているようです。
最近問題視されている格差拡大の本質的原因は、「格差を当たり前と受け取る人々」にあります。
格差拡大を、国の政治の責任にしている人がいるようですが、本質的原因は、国民の意識にあります。
お金が労働の対価であるならば、
TVゲームで頑張っている人にも、報酬が与えられるべきです。
また、アマチュアで野球やサッカーを行っている人にも、報酬が与えられるべきです。
さらに、オリンピックに向けて頑張っている人の全てに、報酬が与えられるべきです。
でも、今の社会では、報酬は与えられません。
それは、今の社会が、ゲーム社会であり、ゲームの勝者にのみ報酬が与えられる社会になったからです。
それも単なる勝者ではなく、社会が認める勝者に報酬が与えられます。
これは、企業間の競争においても同様です。
また、会社の中でも、社員一人一人の競争意識を高めるために、報酬の格差を広げようとしています。
今や、労働の対価という言葉自体消えうせようとしています。
どんなに努力して頑張っても、結果として勝者にならなければ、
報酬を得ることはできない社会になってきています。
勝ち負けに拘る人間が増えた現代ですが、人類の未来という観点から考えると、
誰かが勝っても負けても、そのことは、人類の未来とは無関係です。
本来人間は、お互いに協力し合って、人類の未来に向かって歩むべきです。
価値ある行為とは、人類の未来に向かって歩む行為であり、
そういう行為に対してのみ、報酬が支払われるべきです。
勝ち負けではなく、人類の未来に向かって歩む努力に対して、報酬が支払われるべきです。
一人一人の意識が、勝ち負けよりも、
人類の未来に向かって歩む行為を重視するようになれば、
格差はなくなり、まじめにコツコツ努力する人々が報われる社会になります。