共生と寄生

人は一人では生きられません。
お互いに助け合って生きています。
これが「共生」です。
しかし、豊かな社会では、自分は頑張らず、他人に全面的に依存して生きる人間が増えてきます。
これが、寄生人間です。
心ある少数の人間が、頑張って物を作り、他の人は、その物を右から左へ動かして、利を得ます。
真に価値のある労働を行ったのは、実際に物を作った人間のみであり、
他の人たちは、その価値を分けてもらって生きています。
ニートは、明らかに「寄生人間」ですが、
他にも、「俺は偉いんだ!」と豪語している政治家や財界の大物も同様に「寄生人間」です。
そして、「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている社長を含めた幹部社員、セールスマンも全て「寄生人間」です。
そもそも、ニートは、今の社会の「寄生人間」の象徴と言えないでしょうか。
「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている通常の寄生人間は、
「俺は偉いんだ!」「俺は頑張っている」と大きな声で主張しています。
しかし、額に汗する労働を行っていないという観点から見ると、ニートと何も変わらないように見えます。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。

人間関係が腐敗の原因

人間関係が大切と言われますが、その人間関係の結果、
談合・癒着といった様々な不正行為が行われているのが今の社会です。
コミュニケーション能力とは、このような人間関係を利用して、要領良く利を得るための能力です。
人間関係とは、小さな単位であり、そこに顔を出している人のみが、利益を得られるような言動が求められます。
逆に、その人間関係に関与していない人が、損をすることになります。
公共工事等では、談合・癒着により、工事関係者が国民の税金を要領良く懐に入れ、利益を得ます。
そして、その商談に直接関与していなかった国民が税金を無駄使いされ、損をしています。
公共工事に限らず、様々なところで、一般人が損失を被っていることが多いようです。
人間関係を大切にするということは、その人間関係の中だけの、狭い視野で物事を考えることであり、
「本来どうあるべきか」という本筋から外れることになります。
大切なことは、顔が見える身近な人間関係ではなく、
顔も知らない・名前も知らない・会ったこともない、というような一般社会に、如何に貢献するかということです。
つまり、社会貢献です。
個々の企業の価値を考えるならば、その企業が如何に社会貢献したかが、真にその企業の価値と考えられます。
そして、一般社会とは、地域、都道府県、国という単位ではなく、
世界規模・地球規模での一般社会を想定すべきです。
今の社会では、大企業に限らず、様々な企業が海外に出て行っています。
すでに、国という単位は、従来の都道府県と同じレベルであり、単なる一つの管理単位に過ぎません。
個々の人間の行動を束縛できる枠ではありません。
このような大きな社会を対象にした活動では、
相手の顔色を伺って自分の取るべき行動を決めるような行為(人間関係重視の行動)は
不当な行為であり、詐欺とも思えます。
広い視野で「本来どうあるべきか」という理念が重要です。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

コミュニケーション能力とは?

現代社会では、コミュニケーション能力が大切と言われています。
でも、コミュニケーション能力とは何なのでしょうか。
最近、様々な詐欺行為が増えているようですが、
詐欺師というのは、コミュニケーション能力の達人という感じがします。
 ・相手の顔色を伺いながら、要領良く振る舞う能力
 ・時には、相手を騙すために。
 ・また、時には、相手から騙されないために。
 ・言って言われて言い返す能力。
 ・騙し騙され騙し返す能力。
今の社会では、人と人が会って話しをすることは、心と心を通わす手段にはならず、
舌先三寸の技に長けた人間の都合の良い方向に進めるための手段になります。
この能力に長けている人間が、勝ち組になり、この能力に欠けている人間は、負け組になります。
人類は昔、豊かな社会を目指して、お互いに助け合うために、コミュニケーション能力を使ってきました。
豊かな社会になった現代では、お互いに奪い合うために、コミュニケーション能力が使われます。
たいへん悲しいことですが、それが現実のようです。
今の社会では、コツコツ額に汗して働く人よりも、
舌先三寸でアーしろ!コーしろ!と言う人が認められ、
上の地位を得て、決定権を持っているようです。
 ・アーしろ!コーしろ!と言う人が、命令する人
 ・コツコツ額に汗して働く人が、それに従う人
という人間関係です。
舌先三寸で命令する人は、舌先三寸の延長線で、利益の配分も自分で勝手に決めてしまいます。
このため、命令する人は多く報酬を得て、従う人は少ない報酬になります。
人間関係重視の社会では、自分が頑張るよりも、他人に命令して、他人に頑張ってもらいます。
そして、得られた成果を、命令した人が、自分のものにします。
命令する人は、従う人がいるからこそ生きていけます。
逆に言うと、命令する人は、従う人がいないと生きていけません。
このため、命令する人にとって、人間関係は非常に大切です。
このような理由から、学校でも、人間関係重視の教育が行われているようです。
舌先三寸で命令する人は、自分たちの行動が正しいと考え、
学校教育にも自分たちの生き方・ポリシーを繁栄したということです。
でも、子供の頃から、人間関係に依存した生き方を覚えてしまうと、
他力本願で努力しない人間に育ってしまいます。
人間関係に依存した生き方の象徴がイジメです。
他力本願で努力しなかった結果が学力低下です。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

遺伝子レベルでの理性の喪失

最近、明確な理由の無い、自殺や殺人・その他犯罪が増えているようです。
もしかして、人間の遺伝子レベルで、理性を持たない、
または、理性が機能しない人間が生まれているのではないでしょうか?
今の社会は、ほとんどの人たちが、豊かさを求めて、欲望に明け暮れる社会です。
このような社会の中で、人々は徐々に理性を失いつつあります。
理性を持たず「人の優しさに付け込む卑劣な人間たち」が成功し、大きな利を得ることができます(勝ち組)。
逆に、理性を持った人間は、欲望社会の中で、踏み潰されてしまいます(負け組)。
理性を失いつつある人間どうしから生まれた子供は、
完全に、遺伝子レベルで、理性を持たない、
または、理性が機能しない人間である可能性が高いです。
人類は遥か昔、人に進化する前、手には水掻き用の膜を持ち、お尻には尻尾を持っていました。
でも、進化の中で、不要なものは、退化して無くなりました。
そして、今も尚、人間の脳は徐々に進化(退化)しています。
理性を持った人間は負け組として、子孫を残すことなく死滅し、
理性を持たない人間のみが勝ち組として、子孫を残します。
この状況を数十年から数百年続ける間に、
遺伝子レベルで、全く理性を持たない人間に進化(退化)してしまいます。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

欲望で、憲法を変えると、憲法改悪になる

「日本は和を重んじる国」と言えば聞こえが良いのですが、
法律やルールよりも、仲良く(協調性)が尊ばれる社会
(例えば、談合、癒着、赤信号皆で渡れば怖くない等)
さらには、長い物には巻かれろ!強い者には従え!
個性を捨て集団に従属することが求められる社会
一般的な日本人には、本来どうあるべきかと言った信念はありません。
ただ単に、周りに合わせているだけです。
そんな中で「俺は偉いんだ。俺は正しいんだ。俺について来い。」という人間がいると、
優柔不断な国民は、その人に従ってしまいます。
このような日本だから故に、
愚かな戦争に、民間人も一丸となって取り組んだ日本、
とことん廃墟になるまで、降伏できなかった日本、
が存在します。
今の憲法は、民主主義や平等社会の理念に基づいて作られたものです。
日本の古い習慣(封建社会)や理念に捉われず、理想的な社会を目指す憲法になっています。
また、戦争の悲惨さ、残虐性を知っている人間が、恒久的な平和を願って作成した憲法です。
通常の日本人の思考では、到底作ることができない憲法です。
とことん廃墟になった状況で、多くの人々が平和を願って作り出されたのが、今の憲法です。
この平和憲法を守り通すことが、戦争で亡くなられた方々に対する真の追悼になります。
平和の中で、豊かさを追い求めている今の日本人が、憲法を変えると、憲法改悪にしかなりません。