花開いた悪の花

植物は、成長期の最後に、成熟の証しとして、花を咲かせます。
人間社会でも、振り込め詐欺等の行為は、
舌先三寸で商売を行う人間が多い現代社会の中で、
悪意が凝縮されて花開いた「悪の花」と言えないでしょうか。
つまり、詐欺行為は、一般社会で行われている行為と全く異なる行為ではなく、
一般社会で行われている行為の延長線上にあると考えられます。
たとえば、会社の中では、
上司の御機嫌を伺いながら、要領良く振舞うことで、上司に認めてもらおうとします。
また、部下に対しては、「俺は偉いんだ!」「俺は正しい」「おまえは間違っている」と、
大きな声で一方的に主張することにより、自分の立場を維持しようとします。
これらの行為は、会社の中で一般的に行われている行為ですが、
舌先三寸で利を得ようとする詐欺行為とも考えられます。
政治でも、悪の花が咲いた感じです。
加計学園、森友学園の問題は、氷山の一角で、
アチコチで、悪の花が咲いていると思われます。

共生と寄生

人は一人では生きられません。
お互いに助け合って生きています。
これが「共生」です。
しかし、豊かな社会では、自分は頑張らず、他人に全面的に依存して生きる人間が増えてきます。
これが、寄生人間です。
心ある少数の人間が、頑張って物を作り、他の人は、その物を右から左へ動かして、利を得ます。
真に価値のある労働を行ったのは、実際に物を作った人間のみであり、
他の人たちは、その価値を分けてもらって生きています。
ニートは、明らかに「寄生人間」ですが、
他にも、「俺は偉いんだ!」と豪語している政治家や財界の大物も同様に「寄生人間」です。
そして、「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている社長を含めた幹部社員、セールスマンも全て「寄生人間」です。
そもそも、ニートは、今の社会の「寄生人間」の象徴と言えないでしょうか。
「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている通常の寄生人間は、
「俺は偉いんだ!」「俺は頑張っている」と大きな声で主張しています。
しかし、額に汗する労働を行っていないという観点から見ると、ニートと何も変わらないように見えます。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。

人間関係が腐敗の原因

人間関係が大切と言われますが、その人間関係の結果、
談合・癒着といった様々な不正行為が行われているのが今の社会です。
コミュニケーション能力とは、このような人間関係を利用して、要領良く利を得るための能力です。
人間関係とは、小さな単位であり、そこに顔を出している人のみが、利益を得られるような言動が求められます。
逆に、その人間関係に関与していない人が、損をすることになります。
公共工事等では、談合・癒着により、工事関係者が国民の税金を要領良く懐に入れ、利益を得ます。
そして、その商談に直接関与していなかった国民が税金を無駄使いされ、損をしています。
公共工事に限らず、様々なところで、一般人が損失を被っていることが多いようです。
人間関係を大切にするということは、その人間関係の中だけの、狭い視野で物事を考えることであり、
「本来どうあるべきか」という本筋から外れることになります。
大切なことは、顔が見える身近な人間関係ではなく、
顔も知らない・名前も知らない・会ったこともない、というような一般社会に、如何に貢献するかということです。
つまり、社会貢献です。
個々の企業の価値を考えるならば、その企業が如何に社会貢献したかが、真にその企業の価値と考えられます。
そして、一般社会とは、地域、都道府県、国という単位ではなく、
世界規模・地球規模での一般社会を想定すべきです。
今の社会では、大企業に限らず、様々な企業が海外に出て行っています。
すでに、国という単位は、従来の都道府県と同じレベルであり、単なる一つの管理単位に過ぎません。
個々の人間の行動を束縛できる枠ではありません。
このような大きな社会を対象にした活動では、
相手の顔色を伺って自分の取るべき行動を決めるような行為(人間関係重視の行動)は
不当な行為であり、詐欺とも思えます。
広い視野で「本来どうあるべきか」という理念が重要です。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

コミュニケーション能力とは?

現代社会では、コミュニケーション能力が大切と言われています。
でも、コミュニケーション能力とは何なのでしょうか。
最近、様々な詐欺行為が増えているようですが、
詐欺師というのは、コミュニケーション能力の達人という感じがします。
 ・相手の顔色を伺いながら、要領良く振る舞う能力
 ・時には、相手を騙すために。
 ・また、時には、相手から騙されないために。
 ・言って言われて言い返す能力。
 ・騙し騙され騙し返す能力。
今の社会では、人と人が会って話しをすることは、心と心を通わす手段にはならず、
舌先三寸の技に長けた人間の都合の良い方向に進めるための手段になります。
この能力に長けている人間が、勝ち組になり、この能力に欠けている人間は、負け組になります。
人類は昔、豊かな社会を目指して、お互いに助け合うために、コミュニケーション能力を使ってきました。
豊かな社会になった現代では、お互いに奪い合うために、コミュニケーション能力が使われます。
たいへん悲しいことですが、それが現実のようです。
今の社会では、コツコツ額に汗して働く人よりも、
舌先三寸でアーしろ!コーしろ!と言う人が認められ、
上の地位を得て、決定権を持っているようです。
 ・アーしろ!コーしろ!と言う人が、命令する人
 ・コツコツ額に汗して働く人が、それに従う人
という人間関係です。
舌先三寸で命令する人は、舌先三寸の延長線で、利益の配分も自分で勝手に決めてしまいます。
このため、命令する人は多く報酬を得て、従う人は少ない報酬になります。
人間関係重視の社会では、自分が頑張るよりも、他人に命令して、他人に頑張ってもらいます。
そして、得られた成果を、命令した人が、自分のものにします。
命令する人は、従う人がいるからこそ生きていけます。
逆に言うと、命令する人は、従う人がいないと生きていけません。
このため、命令する人にとって、人間関係は非常に大切です。
このような理由から、学校でも、人間関係重視の教育が行われているようです。
舌先三寸で命令する人は、自分たちの行動が正しいと考え、
学校教育にも自分たちの生き方・ポリシーを繁栄したということです。
でも、子供の頃から、人間関係に依存した生き方を覚えてしまうと、
他力本願で努力しない人間に育ってしまいます。
人間関係に依存した生き方の象徴がイジメです。
他力本願で努力しなかった結果が学力低下です。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

遺伝子レベルでの理性の喪失

最近、明確な理由の無い、自殺や殺人・その他犯罪が増えているようです。
もしかして、人間の遺伝子レベルで、理性を持たない、
または、理性が機能しない人間が生まれているのではないでしょうか?
今の社会は、ほとんどの人たちが、豊かさを求めて、欲望に明け暮れる社会です。
このような社会の中で、人々は徐々に理性を失いつつあります。
理性を持たず「人の優しさに付け込む卑劣な人間たち」が成功し、大きな利を得ることができます(勝ち組)。
逆に、理性を持った人間は、欲望社会の中で、踏み潰されてしまいます(負け組)。
理性を失いつつある人間どうしから生まれた子供は、
完全に、遺伝子レベルで、理性を持たない、
または、理性が機能しない人間である可能性が高いです。
人類は遥か昔、人に進化する前、手には水掻き用の膜を持ち、お尻には尻尾を持っていました。
でも、進化の中で、不要なものは、退化して無くなりました。
そして、今も尚、人間の脳は徐々に進化(退化)しています。
理性を持った人間は負け組として、子孫を残すことなく死滅し、
理性を持たない人間のみが勝ち組として、子孫を残します。
この状況を数十年から数百年続ける間に、
遺伝子レベルで、全く理性を持たない人間に進化(退化)してしまいます。
夢主義社会」は、300年後の理想社会を考えます。

欲望で、憲法を変えると、憲法改悪になる

「日本は和を重んじる国」と言えば聞こえが良いのですが、
法律やルールよりも、仲良く(協調性)が尊ばれる社会
(例えば、談合、癒着、赤信号皆で渡れば怖くない等)
さらには、長い物には巻かれろ!強い者には従え!
個性を捨て集団に従属することが求められる社会
一般的な日本人には、本来どうあるべきかと言った信念はありません。
ただ単に、周りに合わせているだけです。
そんな中で「俺は偉いんだ。俺は正しいんだ。俺について来い。」という人間がいると、
優柔不断な国民は、その人に従ってしまいます。
このような日本だから故に、
愚かな戦争に、民間人も一丸となって取り組んだ日本、
とことん廃墟になるまで、降伏できなかった日本、
が存在します。
今の憲法は、民主主義や平等社会の理念に基づいて作られたものです。
日本の古い習慣(封建社会)や理念に捉われず、理想的な社会を目指す憲法になっています。
また、戦争の悲惨さ、残虐性を知っている人間が、恒久的な平和を願って作成した憲法です。
通常の日本人の思考では、到底作ることができない憲法です。
とことん廃墟になった状況で、多くの人々が平和を願って作り出されたのが、今の憲法です。
この平和憲法を守り通すことが、戦争で亡くなられた方々に対する真の追悼になります。
平和の中で、豊かさを追い求めている今の日本人が、憲法を変えると、憲法改悪にしかなりません。

心を失いつつある人の脳

人は、何故、自分に心があるのか知らない。
人の脳の仕組みは、未だ未だ解明されていないことが多い。
人の脳は、大自然の脅威の中で、進化してきた。
逆に、豊かな環境では、退化する。
困っている人を見ると、助けたくなる。
裕福な人を見ると、ねたむ。うらやむ。
人は、心を持っているようで、実は単に、
周りの状況に反応しているだけの機械(歯車)なのかもしれません。
豊かな社会よりも、貧しい社会の方が、人は優しくなれるのだと思います。

人の脳は、高性能バイオコンピュータ

人の脳は、大脳・小脳・脳幹から成り立っています。
脳幹は、他の動物も持っていて、生きていくための基本的な機能を持っています。
大脳は、記憶がメイン機能です。
人は、他の動物に比較して、大脳が大きいことが特徴です。
人は、外界の状況に応じて、本能だけで行動するのではなく、
大脳に記憶された情報を基に、判断して行動します。
そして、その結果をまた大脳に記憶します。
この繰り返しを総じて、心・精神・感情と称しています。
この大脳が、たいへん大きいため、他の動物には無い多様な心・精神・感情を持つことができました。
つまり、心・精神・感情といったものは、脳の中で行われている物理的な化学反応に過ぎません。
人のチョットしたミスから、大きな事故、犯罪、欲望等の、人の問題行動の原因を、
心・精神・感情といった神憑り的な言葉で表現すると、本質を見失ってしまうように思えます。
人の問題行動の原因を、脳の中で行われている物理的な化学反応であると考えて、
対策を考えれば、もっと適切な対策が出てくるのではないでしょうか。
人の脳を、高性能バイオコンピュータと考えるならば、
人間は、脳の中に記録されたプログラムに従って、外界からの刺激に反応して行動しているのに過ぎません。
人間の脳の中には、本能や欲望だけでなく、理性があります。
この理性によって本能や欲望をコントロールできれば良いのですが、
時として、その理性が正しく機能しないことがあるようです。
特に最近、そういうケースが増えているようです。
人が行動するには、脳の中にその行動プログラムが存在している必要があります。
その行動が、意識的か無意識かに関わらず、
脳の中にその行動プログラムが存在していたから行動できたのです。
様々な犯罪や異常行動も同様であり、その人間の脳の、潜在意識の中に、
犯罪や異常行動のプログラムが存在していたと考えられます。
その行動プログラムのスイッチが、チョットしたきっかけで、ONになったと考えられます。
最近、テレビや映画等で犯罪や異常行動のシーンを見る機会が多いため、
その行動を脳にインプットする機会が増え、犯罪増加につながっていると考えられます。
特に、子供の頃は、感受性が高いために、目で見た映像が強く脳に記憶されます。
潜在意識の中に記録されてしまうと、無意識の間に、その行動を実行してしまう可能性が高くなります。
一度、脳に記録された情報や行動プログラムは、消すことはできず、
意識・無意識に関わらず、何度も同じ過ちを繰り返すことになります。
裁判では、被告の精神状態が問題になるようですが、
大切な事は、社会に害を及ぼす可能性の高い人間を、社会に放置しないことです。

いじめは、大人社会の真似

子供の様々な行為は、全て、大人社会の真似をしているに過ぎません。
今の大人社会は、舌先三寸の人間たちによる腐敗した社会です。
 ・「真実が、舌先三寸で歪められてしまう社会」
 ・「正直者はバカを見る社会」
最近、詐欺行為が事件として表面化することが増えていますが、
一般の身近な人間関係でも、舌先三寸で真実が歪められることは、よくあります。
 ・「人の優しさに付け込む卑劣な人間たち」
人と人が会って話しをすることは、心と心を通わす手段にはならず、
舌先三寸の技に長けた人間の都合の良い方向に進めるための手段になります。
 ・「嘘、張ったり、見栄」
そもそも、人が口にする言葉は、情報量が少なく、曖昧です。
その曖昧さを利用するのが舌先三寸の技(コミュニケーション能力)です。
学校内でのイジメを無くするには、子供や学校内に対して、いくら対策を考えても無駄です。
現在の大人社会を変えない限り、イジメは無くなりません。

子供と遊ぶよりも、働く姿を見せる

子育てに熱心な親が増えているようです。
会社の中での仕事は、単なる歯車としての仕事であり、けっこう時間に余裕があるのだと思います。
そして何よりも、子供には、大人が捨てた夢があります。
自分が捨てた夢の実現を、子供に漠然と期待しているのではないでしょうか。
結果、子供に関心(期待)が向き、子育てに熱心になるのではと思います。
自分の子供を、良い人間に、立派な人間に育てたいと思い、いろいろと苦労しているようです。
でも、「子は親の鏡」です。
親が、いくら言葉で正しい事を説明しても、親の実際の行動が伴わなければ、子供はそれを真に理解できません。
親が、子供に対して、言葉だけで正しい事を説明・強要したならば、
その子供は、親の前でのみ、良い子を振る舞う人間に育つでしょう。
「父親が、毎日、夜遅く酒を飲んで帰宅し、土日は子供と遊ぶ」といった場合、子供は父親をどう思うでしょうか。
「父親の仕事は、会社で夜遅くまで酒を飲むことである。土日は子供と同等である」と子供は理解していないでしょうか?
これでは、大人社会に夢も希望も見出せなくなり、ニートやフリータが増えるのは当然の成り行きと思えます。
親が子供に対して行うべきは、子供と一緒に遊ぶことではなく、
親が額に汗して働くところを子供に見せることです。
しかし、これは、会社に勤める人(サラリーマン)が多い現代社会において、たいへん難しいことです。
テレビのニュース等においても、毎日のように、
癒着、談合、詐欺、脅迫、窃盗、暴力、殺人、等のニュースが報道されており、
未成年者には、好ましくない環境です。
上場会社や政治家、公務員、警察、医者等の不祥事も多くあります。
大人が職場で、子供に知られたくないような不正な事を行っていながら、
子供には、立派な人間に育ってほしいというのは、無理があります。
大人が影で悪い事を行っていれば、子供も影で悪い事を行うようになるのが、当然の成り行きです。
そうであるならば、いっそのこと、醜態をさらす親とは隔絶した世界で子供を育てるのが良いと思います。
全寮制の学校等が良いかもしれません。
もちろん、学校の先生が、子供の御手本になるような人であることが前提条件です。
「子供と向き合うことが大切」とか「子供に背を向けている親が問題」といった声を耳にしますが、
昔は、子供の相手をしている暇も無く、額に汗して働く親が多かったと思います。
そんな親の背中を見て、子供は育って来ました。
しつけや叱ることが大切という人もいますが、子供たちは、大人たちの言葉よりも、行動を見ています。
行動の伴わない言葉は、不信感を募るだけです。